2017-09

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門前町三輪郷

辻々に大和の古い町並らしい風景が残っています
三輪町並

三輪は大和盆地の南東部にあります
古くは大和国一宮として信仰を集めた大神神社や周辺の諸寺の門前町(宮前町)です

奈良方面より初瀬、伊勢への交通の要地であったため
ここは門前町としてだけでなく、平安末期から市の開かれる地でした
2月6日に行われる三輪坐恵比須神社の初市は今でもにぎやかです

三輪の集落内には日本一の大鳥居があり、その東側を中心に古い町並が見られます
門前町・商人町・問屋町・街道町の機能を持ち繁栄した当時の様子が、十分に想像できる町並です

中世には鋳物師の座もあり、日用品から寺の梵鐘鋳造にも携わったといわれます
神社参拝客に喜ばれたのが飴粽(ちまき)で、旅人を慰める三輪名物となっていました

江戸時代に入り人の往来が盛んになると門前町・市場町としての発展が頂点を迎えます
商人、問屋街が発達し、交通の面でも人馬の継立てなどが行われたようですが、宿駅としてはほとんど機能していなかったようです

門前町ということもあり茶屋、土産物屋も多く、中でも素麺の生産が盛んとなり名物として販売されました
当時の高取藩主が幕府への献上品としたともいわれ、今でも三輪素麺の名で知られています

宝歴13年(1763)の村明細帳に、家数370軒・人数1.439人とあり、「女ハ奈良芋かせ素麺稼仕候」とあります、素麺の生産は女性の副業であったようです
慶長5年(1600)織田有楽領、元和7年(1621)幕府領、宝暦12年(1762)清水家領、寛政7年(1795)幕府領、文政7年(1824)再び清水家領となり、安政2年(1855)から幕府領となりました
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テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

環濠集落

奈良盆地には環濠集落が多く点在しています

稗田環濠

環濠集落とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のことです
弥生時代と中世にかけて各地で作られました

弥生時代後期の大規模環濠集落としては、唐古・鍵遺跡が有名です

戦国時代の農村では集落を守るために周囲に堀(環濠)を巡らして襲撃に備えるところが現れ、中世の環濠集落として現在も各地に点在しています

有力な仏教寺院が中心に存在し、規模が大きくなる場合は「寺内町」となります
寺内町としては今井町が有名です
城郭的な性格を兼ね備えた集落としては、稗田環濠集落が大和の環濠の代表例として知られます

他に、若槻環濠集落竹之内環濠集落萱生環濠集落南郷環濠池尻環濠藤森環濠など
大和盆地の古い集落は、ほとんどが環濠集落といっても過言ではないかも・・・
200前後は在るようです

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門前町初瀬郷

初瀬は、門前町宿場町として発達しました

初瀬郷

 桜井市東部の山間部を流れる初瀬川右岸の谷間に位置し
 昔から「初瀬参詣道」の終点にあたる長谷寺を中心とした門前町として発達しました

 また「伊勢街道」に続く分岐点にあたることから、伊勢詣による宿場町としても栄えたところです

 しかし国道沿いから際どく外れたため伝統的な門前町は近年になっても大きく更新されること無く
 古い町並の雰囲気を濃く残しています
 嘉永3年(1850)の記録に、ねずみ屋・扇子屋・吉野屋・檜皮屋・堺屋・紀の国屋など多くの宿があり、参詣客で賑わっていたとあります

 山田酒店「茶房長谷路」は登録文化財になっています

 長谷寺に向う一本道を歩いていくと典型的な門前町の町並が展開して行きます
 街道は途中で大きく北に曲り、その前後から古風な土産物屋が目立ちます
 「はせみやげ」と称され、吉野葛を原料とした和菓子や草餅、柿の葉寿司三輪素麺などを商い、古い構えのまま営業されている店も多く有ります

 この街道筋は大和盆地南部にあった高取藩主の参勤交代の通過路ともなり
 本陣や脇本陣も置かれたそうですが、大火や洪水などの災害に度々見舞われ
 現在残る家々は「初瀬流れ」と呼ばれた文化8年(1811)6月の災害以降に復興されています

 明治末から昭和の初めまでは桜井方面からの鉄道(初瀬鉄道)の終点でもありました

 かつては長谷・始瀬・波都瀬・播都制・波都勢・簸都細・泊瀬などとも書かれ地名は統一されていなかったようです

 初瀬の郷愁風景
 長谷寺のホームページ

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城下町大和郡山

都市の形が形成されたのは、戦国時代末期からです

kooriyamasi

 天正8年(1580)に筒井順慶が大和を統一し、筒井から郡山に移り、明智光秀の指導で城郭の整備にかかりました

 天正13年(1585)に豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えました
 秀長は紀伊・和泉・大和三ケ国で百万石を領し、紀州根来寺の大門を城門にしたり、周辺の神社、仏閣から仏石、墓石等、あるいは春日奥山から大石を切り出し運んで、城郭の大増築と城下町の建設をしました

 江戸時代に入ってからは一時奈良奉行所の管轄となったが荒廃しました
 大坂夏の陣後に同戦役で活躍した水野勝成が入り、以後松平忠明に始まる松平家、本多政勝に始まる本多家と続き、享保9年(1724)には甲斐国甲府藩から柳沢吉保の子柳沢吉里が甲府から転封され、明治維新まで柳沢氏が郡山藩藩主として一帯を統治しました

 明治時代以後は繊維工業と農産物の出荷により発展
 昭和29年1月1日、市制を施行、県下で3番目の市として、「大和郡山市」が誕生しました 

リンク::城下町マップ
  大和郡山市のホームページ
  大和郡山市観光協会のホームページ
  大和郡山市商工会のホームページ
  大和郡山市観光ボランティアガイドクラブのホームページ

見どころ
 郡山城址外堀緑地郡山の金魚切支丹流配碑大納言塚
 洞泉寺町旧遊郭箱本館「紺屋」柳沢文庫
 永慶寺薬園八幡神社柳澤神社春岳院源九郎稲荷神社洞泉寺


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五條の町並み

歴史を感じる街道です

五條新町

 五條は、古くから大阪と紀伊を結ぶ交通の要所でした
 東に向かう道は伊勢街道、西へ向かう道は紀州街道です

 五條市の古い町並みは、主に通称「新町通(しんまちどおり)」と呼ばれる旧紀州街道沿いにあります

 昭和50年(1975)の調査では、江戸時代の建物が77棟、明治時代の建物が19棟確認されています
 町並みの特徴は、木造の瓦葺きで、軒裏や2階壁面を厚く漆喰で塗り込め、むしこ窓をあけ、1階は木格子やスリアゲ戸あるいはシトミ戸を用い、塗り込めにはしないが全体的に重厚な建築であるとされます

 国重文の栗山邸は建築年代のわかっている民家では日本最古です(1607年築)

 これだけ長い街道筋で古い町並みが保存されている場所は珍しく、貴重な場所です
 2010年10月15日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました
  新町通り
 参考;五條市のページ 

 自由市場「かげろう座」が年に一度開催されています

 拡大できます ↓ →


sinnmati

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宇陀市松山地区伝統的建造物群保存地区

中世から現代までが融合した町並みです

大宇陀

 古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場としながらも
 景観を保ったまま残っている地区です

 2006年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました

保存地区の名称:宇陀市松山伝統的建造物保存地区
保存地区の面積:約17.0ヘクタール
保存地区の区域:宇陀市大宇陀区、万六、出新、上新、中新、上、上中、上本、上茶、下本、下中、下出口、小出口の全地域及び下茶、春日、拾生の各一部
条例制定:平成16年12月17日
重伝建選定告示:平成18年 7月5日
選定基準:(-)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの
種別:商町屋
保存物件数:建築物 128件、工作物 88件
環境物件:28件


 戦国時代、秋山庄の荘官から国人領主に成長した秋山氏が城を築きました
 その城下町として山腹に栄えたのが現在の松山の起源であると言われています

 その後、秋山氏は豊臣氏に追放され、秋山城には秀吉の弟・秀長の家臣が入ります
 この頃に城の大規模改修と城下町の拡大整備が行われ、現在の骨格が整えられました

 秋山氏は戦国時代「宇陀三将」と呼ばれた一人です

松山地区(クリックすると拡大します)  交通;近鉄大阪線「榛原」駅下車
    「大宇陀」行きバスで約15分
  駐車場;道の駅『宇陀路大宇陀』に可能

  松山地区まちづくりセンター「千軒舎」(旧内藤家住宅)
  宇陀松山観光案内ホームページ

 交通の要衝であった松山町は「宇陀千軒」「松山千軒」と呼ばれ、江戸時代から活況を呈するようになってきます
 近代に入ってからは料理旅館や商店が軒を連ね、昭和40年頃まで活発な経済活動が営まれていました

 宇陀は「吉野葛」の産地として全国的に有名です
 他にも天然の良水を活かしたお酒や醤油なども特産品として有名です

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城下町高取

 高取藩の城下町として栄えました

高取

 八木から壺阪寺へ通ずる街道に沿って発達した街村形式の町場です

 札之辻;土佐町から壺阪道への分岐点には高札が立てられていました
  ここには釘抜門があり、門から山上にかけて城郭となり、武家屋敷地でした

 土佐町;天正年間(1573~92)に「かけ造り」の町場として成立したようです 
  薬の町としても知られます

★所在地;高市郡高取町観覚寺・下土佐・土佐町・下子嶋
★交通;近鉄{/cars_train/}壺阪山駅下車 徒歩*分
★問合せ;0744-52-3334(高取町役場) 、0744-52-1150(夢創舘

 下子嶋の植村家住宅は旧高取藩家老の中谷氏の屋敷地で、長屋門は県指定の文化財です

 高取城址は国史跡です
 高取山山頂にあり、日本三大山城の一つとされます
 明治中頃まで天守や櫓が存在していたそうです

 参考;高取町ホームページ
   高取町歴史遊歩高取町観光協会高取町商工会高取町観光観光ボランティアガイドの会



 【高取の城下町にある寺社】
 壺阪寺 信楽寺子嶋神社土佐恵美須神社国府神社光永寺子嶋寺八幡神社聖天講宗泉寺長円寺大圓寺


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奈良町都市景観形成地区

 古民家が軒を連ねる昔町



 奈良町は、元興寺旧境内に広がり、大和の商工業の中心として発展しました

 範囲は、45町・48.3ヘクタール
 木造建築約1,500戸(内、古い家約600戸)があります

 平成6年4月に「奈良町都市景観形成地区」に指定されています

 奈良市の中心市街地の「奈良町」は第二次世界大戦の空襲を免れたため
 江戸時代後期から昭和前期にかけて建てられた伝統的な町家が多く残っています

 建物の敷地は「うなぎの寝床」とも称され、間口が狭く奥行きが深いつくりになっています
 ならまち格子の家藤岡家住宅など

 町家を改装した個性的な資料館なども散在していて楽しめます
 奈良町資料館ならまち振興館奈良町物語館奈良市立資料保存館
 今西家書院奈良市杉岡華邨書道美術館なら工藝館奈良市音声館など

 元興寺(極楽坊塔跡小塔院跡)の他、中将姫縁の寺(誕生寺徳融寺高林寺
 十輪院福智院金躰寺城寺阿弥陀寺十念寺聖光寺安養寺等の多くの寺院

 身代わり猿がたくさん吊るされた庚申堂も有名です

 猿田彦神社「道祖神」崇道天皇社御霊神社采女神社鎮宅霊符神社等の
 地域に根付いた小さな神社も点在します

奈良町地区
 ←クリックすれば拡大します


 近鉄奈良駅から南へ7分~
 問合先:奈良市観光センター TEL:0742-22-3900

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