2017-06

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万葉の故地・大和三山

大和三山の中心に藤原京が有りました

大和三山

 三山の妻争い伝説をもとにした歌
 香具山は 畝火雄々しと 耳成と 相(争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 
 (1巻-13、作者: 中大兄皇子)
 香具山は、畝傍山が素敵だと、耳成山と争った。神代からそのようで、昔からそうなのだから、今のこの世の中でも妻をめぐって争うらしい。
原文:高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉

反歌
 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原 (1巻-14)
 香具山と耳成山が争った時、阿菩の大神が立って見に来た、印南野よ。
 海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ (1巻-15)
 海原の豊旗雲(とよはたくも)に、入日がさしています。今夜の、月はさやかであってほしい。

大和三山は、藤原宮跡から、北に耳成山・西に畝傍山・東に天香久山が見えます


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万葉の故地 巨勢・ 巨勢山

巨勢塔跡
 巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を (巻1-54) 

巨勢の椿 大宝元年(701)9月に、持統上皇が紀伊国に行幸した時に、坂門人足が詠んだ歌です
 「或本(あるふみ)の歌」として、次の、春日老(かすがのおゆ)の歌が、後の人の手によって、補われています 
 河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は(巻1-56)

  巨勢山(296m)は吉野口の西方に美しい円錐形の姿を見せる神の山です
  巨勢の道は、飛鳥から高取町を経由して、現御所市戸毛・古瀬の曽我川を遡り、重坂峠を越えて吉野や和歌山県へ至る古道です

  この道は持統天皇が30数回に亘って吉野へ行幸した道でもあります
  巨勢道は万葉集に数多く詠まれています

 直に行かず 此ゆ巨勢道から 石瀬踏み求めそ わが来し 恋ひてすべなみ(巻13-3320)

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万葉の故地・三笠山

万葉の三笠山は現在の御蓋山(春日山の一峰で、297m)です(若草山とは別)
山の形が天皇のかざす衣笠に似ているので「みかさ」と云います

春日山

 春日山の西端の三角錐峰が御蓋山です

巻2-232: 御笠山野辺行く道はこきだくも繁く荒れたるか久にあらなくに (笠金村)
巻2-234: 御笠山野辺ゆ行く道こきだくも荒れにけるかも久にあらなくに (作者不詳)
巻3-372: 春日を春日の山の高座の御笠の山に朝さらず.......(長歌) (山部赤人)
巻3-373: 高座の御笠の山に鳴く鳥の止めば継がるる恋もするかも (山部赤人)
巻6-980: 雨隠り御笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜はくたちつつ (安倍虫麻呂)
巻6-987: 待ちかてに我がする月は妹が着る御笠の山に隠りてありけり (藤原八束朝)
巻6-1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は.......(長歌) (田辺福麻呂)
巻7-1295: 春日なる御笠の山に月の舟出づ風流士の飲む酒杯に影に見えつつ (作者未詳)
巻8-1553: 時雨の雨間なくし降れば御笠山木末あまねく色づきにけり (大伴稲公)
巻8-1554: 大君の御笠の山の黄葉は今日の時雨に散りか過ぎなむ (大伴家持)
巻10-1861: 能登川の水底さへに照るまでに御笠の山は咲きにけるかも (作者未詳)
巻10-1887: 春日なる御笠の山に月も出でぬかも佐紀山に咲ける桜の花の見ゆべく (作者未詳)
巻13-3209: 春日なる御笠の山に居る雲を出で見るごとに君をしぞ思ふ (作者未詳)

西麓には春日大社が鎮座しています 

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万葉の故地・明日香川

明日香川
明日香を詠った詩には、圧倒的に明日香川が多く有ります

明日香川は、高取山を源流として稲淵山の西麓を廻り、細川をあわせて甘樫丘の東北を廻り、藤原宮跡を経て大和川に注いでいます
その名の通り、明日香を流れる川です

巻2-194: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に生ふる玉藻は.......(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-196: 飛ぶ鳥の明日香の川の上つ瀬に石橋渡し.......(長歌) (柿本人麻呂)
巻2-198: 明日香川明日だに見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ (柿本人麻呂)
巻3-325: 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに (山部赤人)
巻3-356: 今日もかも明日香の川の夕さらずかはづ鳴く瀬のさやけくあるらむ (上古麻呂)
巻4-626: 君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く (八代女王)
巻7-1126: 年月もいまだ経なくに明日香川瀬々ゆ渡しし石橋もなし (作者未詳)
巻7-1366: 明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ (作者未詳)
巻7-1379: 絶えず行く明日香の川の淀めらば故しもあるごと人の見まくに (作者未詳)
巻7-1380: 明日香川瀬々に玉藻は生ひたれどしがらみあれば靡きあはなくに (作者未詳)
巻8-1557: 明日香川行き廻る岡の秋萩は今日降る雨に散りか過ぎなむ (丹比真人国人)
巻10-1878: 今行きて聞くものにもが明日香川春雨降りてたぎつ瀬の音を (作者未詳)
巻10-2701: 明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも (作者未詳)
巻10-2702: 明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ (作者未詳)
3267: 明日香川瀬々の玉藻のうち靡き心は妹に寄りにけるかも (作者未詳)
巻19-4258: 明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ (作者未詳)

万葉の明日香川は、飛鳥藤原の都に住み暮らした人々が愛した里川です
日々目に親しい川に託し、恋や故郷を懐かしむ心情が綴られました
その中には、一雨降れば増水し瀬音を響かせる時々刻々の変化なども詠み込まれ、万葉の人々がいかに自然の移り変わりをよく観察していたかがうかがわれます

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万葉の故地・明日香

明日香は、長い間にわたって政治・文化の中心地でした

明日香

明日香村を中心とする一帯の地
一般には橘から雷丘にかけての明日香川周辺をさすことが多いようです

舒明・皇極・斉明・天武・持統天皇の宮が営まれた地です(飛鳥京跡

第一巻0051:采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く (志貴皇子)
第一巻0078:飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ (元明天皇)
第二巻0162:明日香の清御原の宮に天の下知らしめしし.......(長歌) (持統天皇)
第二巻0199:かけまくもゆゆしきかも言はまくもあやに畏き.......(長歌) (柿本人麻呂)
第三巻0268:我が背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて (長屋王)
第三巻0324:みもろの神なび山に五百枝さししじに生ひたる.......(長歌) (山部赤人)
第六巻0992:故郷の飛鳥はあれどあをによし奈良の明日香を見らくしよしも (大伴坂上郎女)

明日香稲淵

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万葉の故地・吉野

吉野宮滝

吉野川流域を中心とした一帯をいいます
応神・雄略・斉明・天武・持統・文武・元正・聖武の各天皇が吉野に行幸されています
吉野離宮の場所は、最近の発掘調査などから「宮滝遺跡」がそうではないかと有力視されています

第一巻0027: 淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見(天武天皇)
第一巻0036: やすみしし わが大王の 聞こしめす 天の下に 国はしも 沢にあれども 山川の 清き河内と 御心を
吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太しきませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競い 夕川渡る
この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激つ 滝の宮処は 見れど飽かぬかも....(長歌)(柿本人麻呂)
第一巻0037: 見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む)...(反歌)(柿本人麻呂)
第一巻0039: 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
第三巻0315: み吉野の吉野の宮は山からし貴くあらし.......(長歌)(中納言大伴卿)
第六巻0909: 山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも(笠金村)
第六巻1005: やすみしし我が大君の見したまふ吉野の宮は.......(長歌) (山部赤人)
第六巻1006: 神代より吉野の宮にあり通ひ高知らせるは山川をよみ(山部赤人) 
第九巻1713: 滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥(作者未詳)
第九巻1714: 落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ(作者未詳)

『やすみしし』は「わが大君」「わご大君」にかかる枕詞です

吉野離宮は、656年斉明天皇が「吉野宮」を造ると「日本書紀」に記されています
672年6月24日大海人皇子が近江朝打倒の為ここから出陣しています
679年の「吉野の盟約」後、持統天皇の吉野行幸は31回も続きました

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万葉の故地・天の香具山

古事記に「阿米能迦具夜麻」とあります

天の香具山

『伊予国風土記逸文』に、天から降って来たという伝承があります
この山だけ「天(あめ)の」を冠らせるのは、神聖な山と考えられていた為です

香具山耳成山畝傍山と並んで、大和三山の一つです

万葉集にもたくさん詠まれています

0002: 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は..(長歌)
0013: 香具山は 畝火雄々しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき..(長歌)
0014: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原
0028: 春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
0052: やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に、春山と、茂みさび立てり、畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水..(長歌)
0119: かけまくもゆゆしきかも言はまくも..(長歌)柿本人麻呂
0257: 天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば.......(長歌)
0258: 人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む
0259: いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに
0260: 天降りつく神の香具山うち靡く春さり来れば.......(長歌)
0334: 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
0426: 草枕旅の宿りに誰が嬬か国忘れたる家待たまくに
1096: いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山
1812: ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも
2449: 香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも

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万葉の故地・二上山

二上山
二上山は、葛城市当麻町と南河内郡太子町の間にあるフタコブラクダのような尾根の山です
現在は「にじょうさん」と呼ばれることが多いですが、万葉の時代は「ふたがみやま」と呼ばれていたようです

雌岳(標高474m)と雄岳(標高540m)があり、雄岳の山頂には、大津皇子の墓があります

0165: うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む
0166: 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに
 姉の大伯皇女が弟の大津皇子が処刑されたあと二上山に移葬した時に作った歌です
 大津皇子は天武天皇と太田皇女(天智天皇の息女)の子です

1098: 紀道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ
2185: 大坂を我が越え来れば二上に黄葉流るしぐれ降りつつ

2668: 二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ

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万葉の故地・生駒山

生駒越えは大和と河内を結ぶ交通路でした

夕焼けの生駒山

生駒山は生駒市および平群と東大阪との間に連なる標高642mの山です
万葉の時代、平城宮と難波津を結ぶ最短の道が暗越え奈良街道です
山頂の北に善根寺越え・辻子越え(日下直越え)があります
当時の主要路がどれだったかは不明です

旅人がそして難波津から遣唐使たちが大和を懐かしく思って眺めた山です

1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は............(長歌)
1428: おしてる難波を過ぎてうち靡く草香の山を............(長歌)
2201: 妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉散りつつ
3032: 君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも
3589: 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
3590: 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
4380: 難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく

歌碑:四季の森林園内・高山竹林園内・生駒市役所正面玄関・.総合公園内・西畑町暗越奈良街道沿い・大瀬中学校前に有ります

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万葉の故地 泊瀬

万葉初耀讃仰碑

泊瀬は桜井市の脇本・出雲・初瀬など初瀬川流域辺りを言います
 初瀬川は大和川とも呼ばれていますが、当時は泊瀬川と書き、三輪山麓では三輪川と呼ばれていました

大和川から初瀬川をさかのぼる水運の「つる瀬」ということで【泊瀬】と書きます
また、東西に長い峡谷状の地形であることから【長谷】とも書きます
隠口こもりく」の枕詞もこの地形からです

古代においては葬送の地で、神聖な場所でもありました
神の山・三輪山を望み、伊勢に抜ける伊勢街道が通ります

こもりくの 泊瀬はつせの国に 左結婚丹さよばひに きたれば たな曇り 雪は降り さ曇り 雨は降り来 野つ鳥 きぎしとよむ 家つ鳥 かけも鳴く さ夜は明け この夜は明けぬ 入りてかつ寝む この戸開かせ (巻13-3310 作者未詳)

意味:山々の奥深いこの初瀬の国に 妻どいにやってくると 急に曇って雪が降ってくるし さらに雨も降ってきた。 野の鳥、雉は鳴き騒ぎ  家の鳥、鶏も鳴き立てる。 夜は白みはじめ とうとう夜が明けてしまった。 だけど中に入って寝るだけは寝よう。 さぁ、戸を開けてくだされ 

こもりくの 泊瀬小国はつせをぐに よばひせす 我が天皇すめろきよ 奥床に母は寐寝いねたり 外床とどこに父は寐寝たり 起き立たば 母知りぬべし  出でて行かば 父知りぬべし ぬばたまの 夜は明けゆきぬ ここだくも 思ふごとならぬ こもり妻かも  (巻13-3312 作者未詳)

意味:山深いこの初瀬の国に 妻どいされる 天皇(すめろぎ)よ 母さんは奥の床に寝ていますし 父さんは入口の床に寝ています
 体を起こしたら 母さんが気づいてしまうでしょう 出ていったら 父さんが気づくでしょう そのように躊躇う(ためらう)うちに夜が明けてきました なんとまぁ こんなにも思うにまかせぬ隠り妻であること。この私は

柿本人麻呂歌集出の旋頭歌
泊瀬の 斎槻が下に 我が隠せる妻 あかねさし 照れる月夜に 人見てむかも (巻11-2353)
泊瀬は隠り妻の地として詠われもした

黒崎の白山神社の境内に「万葉初耀讃仰碑」が立っています

ブログ 万葉集遊楽のページ

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万葉の故地・平城京

平城京(ならのみやこ)を詠った万葉歌

ライトアップ大極殿

あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく今 盛りなり(3巻-328)
作者:太宰少弐・小野老朝臣(だざいのせうに・をののおゆあそみ)

あをによしは「奈良」の枕詞
アヲニは顔料に生る緑青のことで、ヨシは讃めことばです
奈良という語のある歌は51首
「奈良の都」と詠まれる歌は23首あります
ほとんどが奈良以外の地で詠まれたもので、都への望郷の思いや恭仁京遷都後の都の荒廃への嘆きを詠ったものです

やすみしし 我が大君の 敷きませる 国の中には 都し思ほゆ(3巻-329)
藤波の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほすや君(3巻-330)
作者:2首とも大伴四綱
我が盛り またをちめやも ほとほとに 奈良の都を 見ずかなりなむ(3巻-331)
作者:大伴卿(大宰府の長官・大伴旅人)

やすみししは「君」にかかる枕詞

恭仁京遷都後の都の荒廃への嘆きを詠った歌
秋されば 春日の山の 黄葉見る 奈良の都の 荒るらく惜しも(8巻-1604)
作者:大原真人今城
世間を 常なきものと 今ぞ知る 奈良の都の うつろふ見れば(6巻-1045)作者未詳

「奈良の都」と詠まれる歌(長歌除く)
龍の馬も 今も得てしか あをによし 奈良の都に 行きて来むため(5巻-806)作者:大伴旅人
龍の馬を 我れは求めむ あをによし 奈良の都に 来む人のたに(5巻-808)作者:大伴旅人
我が主の 御霊賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上げたまはね(5巻-882)作者:山上憶良
紅に深く 染みにし 心かも 奈良の都に 年の経ぬべき(6巻-1044)作者未詳
たち変り 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり(6巻-1048)作者: 田辺福麻呂歌集より
なつきにし 奈良の都の 荒れゆけば 出で立つごとに 嘆きし増さる(6巻-1049)作者:田辺福麻呂歌集より
沫雪の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほゆるかも(8巻-1639)作者:大伴旅人
あをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲 見れど飽かぬかも(15巻-3602)作者:遣新羅使の一人
あをによし 奈良の都に 行く人もがも 草枕 旅行く船の 泊り告げむに(15巻-3612)作者:遣新羅使の壬生使主宇太麻呂の歌
海原を 八十島隠り 来ぬれども 奈良の都は 忘れかねつも(15巻-3613)作者未詳
山川の 清き川瀬に 遊べども 奈良の都は 忘れかねつも(15巻-3618)作者:遣新羅使の一人
天飛ぶや 雁を使に 得てしかも 奈良の都に 言告げ遣らむ(15巻-3676)作者:遣新羅使(名前は不明)
あをによし 奈良の都は 古りぬれど もと霍公鳥 鳴かずあらなくに(17巻-3919)作者:大伴家持

地名としての「なら」の語源は「ならす(平らにする意)」の「なら」との説が有力です
平坦にされた地に造営された都城であるので「平城京」と記されました

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万葉の故地:阿騎野

阿騎野は「かぎろひ」の里と呼ばれます

akino

阿騎の野は宇陀市大宇陀区あたりの野です(阿紀神社がある辺り?)

軽皇子の安騎の野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌が良く知られます
やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子
神ながら 神さびせすと 太敷かす 京を置きて
隠口の 泊瀬の山は 真木立つ 荒き山道を
石が根 禁樹おしなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉かぎる 夕去り来れば み雪降る 阿騎の大野に
旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす
いにしへ思ひて
  (巻1-45 柿本人麻呂)

 【短歌】
阿騎の野に 宿る旅人 うち靡き 眠も寝らめやも いにしへ思ふに (巻1-46 柿本人麻呂)
ま草苅る 荒野にはあれど 黄葉の 過ぎにし君が 形見とぞ来し (巻1-47 柿本人麻呂)
東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ (巻1-48 柿本人麻呂)
日並の 皇子の命の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ (巻1-49 柿本人麻呂)

持統3年(689)に亡くなった日並皇子尊(草壁皇子)の子・軽皇子は
3年後(10歳ぐらいの時)に、お供に柿本人麻呂や舎人らと父が狩をした時と同じメンバーで
朝越えした思いでの真木立つ荒き山道を朝越えして、夕方には雪降る阿騎の大野に旅の宿りをされる
その時に柿本人麻呂が詠んだ詩とされます

かぎろひ?
旧暦11月17日には「かぎろひを見る会」が催されています

参考;万葉散歩のページ

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万葉の故地:佐保川

佐保川は平城宮近くを流れ、古来詩歌に多く詠まれています

佐保川

佐保川は、春日山から都の北を通り、東大寺の西で吉城川と合流して平城京を南に抜けていきます
万葉集では「佐保の河」とも詠まれます
「千鳥」を伴った歌が多いのも特徴です

佐保川を詠った万葉歌
うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春べとなりにけるかも(万葉集巻8-1433・大伴坂上郎女)
佐保川の清き川原に鳴く千鳥かわずとふたつ忘れかねつも(万葉集巻7-1123)
佐保川に鳴くなる千鳥何しかも川原を偲ひいや川のぼる(万葉集巻7-1251)
佐保河の小石ふみ渡りぬばたまの 黒馬の来る夜は年にもあらぬか(大伴坂上郎女、万葉集巻4-0525)
佐保川の水を塞きあげて植ゑし田を 刈る早飯は独りなるべし(上の句:尼/下の句:大伴家持、万葉集巻8-1635) …最古の連歌とされます
見渡せば佐保の河原にくりかけて 風によらるゝ青柳の糸(西行法師、山家集)

春の佐保川河畔は、柳青葉も美しく、万葉人のデートスポットでも有りました
また、当時の佐保川は河鹿のすむ清流であり、鳴く千鳥は平城京の人々に親しまれていました

現在は、両岸を覆いつくす桜並木がとてもきれいです

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