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古都奈良の文化財

平成10年登録のユネスコの文化遺産です

東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺・平城宮跡・春日山原始林の八つの資産で構成されます

奈良は、710年から794年までの日本の都として栄え、唐との交流を通して日本文化の原型が形成されました
都が京都へ移った後も、大社寺を中心にした地域が宗教都市として存続して、繁栄しました

登録にあたっては、各資産が個別に評価されたのではなく、八資産全体で物語っている奈良の歴史や文化の特質が評価されました
東アジアの古代の都のうち、宮殿の遺跡と都に計画的に建設された木造建築群とによって当時の姿を伝えている例は他にはなく、建造物群と自然の山や森とが一体となった文化的景観が守られていることも大きな特徴です

平城宮跡
大極殿遠望
平城宮は平城京の中央北端に位置する宮跡で、東西1.3km、南北1km、面積130haの広さが有ります
宮内には政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院、天皇の居所である内裏、行政機関である各役所などがありました

東大寺
東大寺
東大寺は、仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の発願で建立されました
751年に金堂(大仏殿)が完成、翌年には盛大な大仏開眼供養が行われ、伽藍全体がほぼ完成したのは奈良時代末でした
その造営は国の総力を挙げた大事業であり、空前絶後の巨大な建物群が建設されました

興福寺
興福寺
興福寺は、前身の寺院が699年に創立されたのを起源と藤原氏の氏寺です
平城遷都に伴って現在の場所に移転し「興福寺」と改めました
主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多数をしめます
これは藤原氏と朝廷との密接な関係を示すもので、造営工事も朝廷の直営で行われました

春日大社境内
春日大社
春日大社の創立は、社伝では768年と伝えられますが、実際には奈良時代初めに遡ると考えられています
古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山の西麓に、藤原氏の氏神を祀ったもので、藤原氏や朝廷の崇敬を受けて繁栄しました

春日山原始林
春日山原始林
春日山は841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、大社の神山として守られてきました
明治になって国有地となり、奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定されました

元興寺
元興寺
元興寺は6世紀に蘇我馬子が建立した飛鳥寺を平城宮に移転したものです
現在は「ならまち」の中元興寺極楽坊元興寺小塔院跡元興寺塔跡に寺地が分散しています

薬師寺
薬師寺
薬師寺は680年に天武天皇が発願した官寺で、718年に藤原京から平城京に移されました
730年には既に東塔が建立されています
その後、973年に金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失したのをはじめ、1445年には大風で金堂が倒壊し、1528年には兵火で西塔も失いました
こうして創建時の建物は東塔のみとなりました

唐招提寺
唐招提寺
唐招提寺は、戒律を学ぶための寺として鑑真が759年に創建しました
教義上、立派な伽藍よりも、住むに足るだけの僧坊・食堂と、仏法を講じる講堂が何をおいても必要であったことから、これらの建物が最初に建てられました
鑑真の没後、奈良時代末に金堂が完成し、810年に五重塔が建立され、伽藍が整って行きました

【評価の基準】
古都奈良の文化財は日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有しており、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり後世の発展に重要な影響を与えることになった。
奈良の建築遺産は、奈良が首都であった時代に開花した日本文化の唯一の証左である。
奈良における皇室宮殿の配置と現存文化財の設計は、初期アジアの首都群の建築と都市設計に関するきわだった例である。
奈良の仏教寺院と神社は、ひときわ優れた形で宗教の連続的な力と影響を証明する。
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