2017-05

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赤膚焼き

奈良絵がかわいいですね

赤膚焼き

 赤膚焼の名称の由来については詳かでありませんが
 『衣だに二つありせば赤膚の 山に一つは貸さましものを』(新続古今和歌集)とある如く地名から出たとする説
 赤膚山(五条山)から出る陶土は鉄分の含有量が多く焼上げた地肌が赤身を帯びるからだとする、二説があります

 創始は垂仁天皇の代(36~70)頃で、埴輪で有名な野見宿彌の埴採り、土師部発祥の地と推される赤膚山附近に興ったと伝わります

 文献に残るのは天正年間(1573~92)以後です
 豊臣秀吉の弟・郡山城主大和大納言秀長が、尾張常滑から陶工与九郎を招き、西の京で茶器を作らせた記録があります

 窯元発行の赤膚焼由来では
 元和年間(1615~24)遠州流茶道の開祖である伏見奉行職小堀遠江守政一(一般に小堀遠州宗甫と呼ばれる茶人)、書画古器の鑑定家が指示してその嗜好品を作らせたところから以後「遠州七窯の一」といわれるに至ったとされています
 
 赤膚の名声を高めたのが奥田木白です
 木白は、寛政12年(1801)大和郡山堺町の郡山藩御用小間物商柏屋を営む奥田家に生れます
 天保6年(36才の頃)から陶工となり嘉永3年(51才の時)には江戸の注文に応じる程になっています
 
 当時、五条山には中・東・西の三窯が有りました
 中の窯は郡山藩主柳沢保光が京都から招いた丸屋治兵衛系の赤膚山窯、東の窯は住吉屋平蔵・岩蔵父子が経営する錦恵山窯、西の窯は不明です
 現在は、五条山に二窯、山伝いの富雄に一窯、西の京に一窯、郡山に二窯、都合六つの窯が有ります
 
 奈良マーチャントシードセンター →物産・伝統工芸
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