2017-03

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唐招提寺の十一面観音菩薩立像

長身の十一面観音像です

 像高166cmの等身大ほどの像です

唐招提寺十一面観音菩薩立像
 旧講堂木彫群に含まれていた仏像で、現在は新宝蔵に安置されています
 もと唐招提寺山内にあった西山別院の像であったと伝えられます

 カヤの一木造で、胴を長く表わし肉付きは少なく、内刳りはされていません
 現在ほぼ全身素地を表わしているが、宝冠上面の頭髪部や天衣の一部などに木屎漆を盛ってあります
 作風は中国で8世紀半ば頃に数多く作られた小ぶりの檀像と似ています
 木目の美しさを生かし、切れ長の目や強く反りあがった唇のほか、胸飾りなどの細かな装飾も本体から直接鮮やかに掘り出しており、精緻な檀像の影響を感じさせます
 大陸との交流を通じて、木彫様式の影響を強く受けた重要な作例とされます

 場所等はこちら  唐招提寺

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

東大寺中性院の御本尊

快慶の作とする説もあるそうです

 通常は非公開です
木造弥勒菩薩立像

東大寺中性院本尊 檜材で、像高102.7cm
 重要文化財です
 像内にあった「弥勒上生経」に「建久■年」と朱書されていました
 鎌倉時代の建久年間(1190〜99)の作とされます

 ふっくらとした頬、きりっと引き締まった唇に若々しい生気がみなぎります
 着衣のひだの波状の自然なうねり、蓮をもち屈曲した左手とすらりと伸びた右手、直立の左足と緩やかに曲げた右足、抑揚に富んだ表現に仏師の技の鮮やかさが感じられます
 髻を高く結い、条帛・天衣を懸け、裳を著け、腰を左に捻り、右足を緩めて立つ、通行の菩薩形立像で、左手は屈臂して持物を執る形を示し、右手は垂下して、手の平を前に向けています

 光背及び台座はすべて寛永5年(1628)の補作だそうです
 元戒壇院「千手堂」内に在ったそうですが、昭和初年に中性院の本尊として迎えられたと伝えられます
 台座の修理銘から、もと興福寺にあったことも知られます

 場所等はこちら  東大寺中性院 

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

福源寺の薬師如来像

円満な顔立ちの仏像です
福源寺薬師如来像
 福源寺宝物庫に収蔵されている木造薬師如来坐像です
 元は氏神神社隣の安楽寺薬師堂に安置されていました
 明治の神仏分離で、福源寺に移されたとの言い伝えがあります

 川上村での最初の指定文化財です
 昭和14年「旧国宝」に指定されています
 昭和24年に「重要文化財」に指定変えされました

 高さ126.5cmの堂々とした彫像です
 胎内に『藤原宗高大施主 仏師僧勝禅大法師 応徳二年(1085)十一月日」の墨書が見つかっています
 台座と光背は、元禄8年(1695)の補作です

 建久2年(1191)、仁西上人はおつげにより薬師如来と共に高原の里人数名と報恩寺に入り、有馬温泉の再興に尽力しました
 十二神将を表し、有馬十二坊を建て湯を守りしめたと伝えられ、台座に「元有馬薬師之蓮台」とあります

  場所等はこちら 福源寺

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東明寺の仏像

木造薬師如来坐像と木造吉祥天立像
東明寺薬師如来 東明寺吉祥天

≪木造薬師如来坐像≫
樟材の一木造りで、像高は94cm
豊かに張った下膨れの頬と目じりの下がった目が印象的で、額がせまく、下顎が広い得意な面相です
肩が張り、胸幅が広く、膝も厚く大きく、全体としては堂々たる風貌を呈しています
衣文は丸く太い襞と、かどのとがった細い襞とが交互に繰り返すいわゆる翻波式衣文で、少し形式化していますが、この像の容貌によく似合っています
平安前期ごろの製作と推定されています

≪木造吉祥天立像≫
木造・彩色一木造りで、像高は91cm
両肩を割り矧ぎ、さらに両手首を矧ぎつけています
首が極端に短く両肩がいかり肩で、体躯にボリュームのある重厚な像です
丸顔の面部はやさしく、女性らしさが表れています
全体的に彫りは浅く、肉どりは平板であり、衣文の襞にも鋭さがありません
平安中期の作と推定されています
吉祥天は毘沙門天の妃とされ、福徳の女神として信仰されました
一般に唐風の貴婦人の姿で、左手に如意宝珠をのせるのが特徴です

他に木造地蔵菩薩坐像(平安時代の作)・木造毘沙門天立像(平安時代の作)が安置されています

通常は公開されていません
見学するにはお寺の許可を得てください

 場所等はこちら  東明寺

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宝山寺の厨子入五大明王像

手のひらに乗るほどの小像です
厨子入五大明王像

重要文化財
宝山寺聖天堂の右脇間に安置されています

 厨子高81.5cm、像高(不動明王)17.9cm
 木造彩色(不動明王金泥)
 江戸時代の元禄14年(1701)10月18日の造立

厨子内に不動明王を中心に、向かって右前方に降三世明王、左前方大威徳明王、左後方金剛夜叉明王、右後方軍荼利明王が納められています
それぞれ像高が13.6cmの小仏

 厨子扉朱漆銘によれば赤栴檀(しゃくせんだん)を用いたことがわかります
 湛海律師の自作、金色・朱・黒の配色が大胆な江戸彫刻の優作です

参考;不動明王降三世明王大威徳明王金剛夜叉明王軍荼利明王
 五大明王は、護国・除災を目的とする仁王経法の本尊として、平安時代以来盛んに造立されました
 密教の忿怒尊らしく、力感の籠った荒々しい像容と躍動的な姿勢に表現されます

場所等はこちら  宝山寺

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大日寺の五智如来像

吉野山でも、もっとも古い部に属する藤原時代の秀作とされ、重要文化財に指定されています

大日寺五智如来

大日如来を中心として阿しゅく如来・宝生如来・無量寿如来・不空成就如来の五体からなる
いずれも木造漆箔寄木造りで、造像当初の金箔も比較的よく残っており、透かし唐草の 舟形光背を背に蓮台上に結跏趺坐しています
主尊の大日如来は像高97.3cmでもっとも大きく、他の諸尊は少し小さくて平均53cm

五駆一群の五智如来が完全な形でそろっているのは、寺院の多い奈良県内でも、あまり他に例を見ない貴重な存在です

 場所等はこちら  大日寺

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桜本坊の木造役行者神変大菩薩

19歳の青年時代の姿です
桜本坊の役行者像 桜本坊の本尊です(重要文化財)

 像高116cmの木造彩色役行者像
 等身大、髯のない顔この像は、全国の修験系寺院にまつられている数多い役行者像の中でも、鎌倉彫刻として最も優れた像とされています

 大峯山中での難行苦行の結果、痩身像として表現される他の役行者にくらべ、着衣を通しての体の肉付きや顔の表情などもふくよかで、おだやかな微笑さえ感じさせます

木造地蔵菩薩像
桜本坊の地蔵菩薩
 像高:82cm 檜材寄木造り

 温和な表情は、藤原時代の作風をよく表しています
 白亳や両手先の欠損、彩色の剥落が惜しまれますが、深い慈悲の面差しが人の心に安らぎを覚えさせる像です

銅造鍍金釈迦如来椅像
桜本坊の釈迦如来
 像高:26.7cmの小像です

 通肩(つうけん)といわれる衣を身にまとい、懸裳(かけも)を両足にたらして、高く盛り上がった頭部は、肉髻(にくけい)のままで螺髪(らほつ)をつけず、いかにも白鳳時代(奈良時代前期)らしい顔は、若々しい少年のようです

 この像は県南部では最古のものとして貴重な像です

 場所等はこちら  桜本坊

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湯川阿弥陀堂の阿弥陀如来

湯川の阿弥陀如来像

 平安時代末の嘉応2年(1170)に大法師慶印が造立、仏師仏忍の作
 丈六(1丈6尺)阿弥陀如来坐像です(像高3.7m仏身2.7m)
 檜材による寄せ木造り
 藤原時代の作と考えられています 
 国重要文化財に指定されています

 昔は今の場所より400m上の湯壺と呼ぶところに湯水があり、その湯壺に阿弥陀堂が建てられました
 「温泉仏」と愛称されて、近隣よりのお参りも多かったそうです
 湯川の地名もこの湯水からつけられたと言われています
 元禄2年(1689)に今の場所である街道脇に移されました

所在地;五條市西吉野町湯川1037 MAP

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十輪院の石仏龕

わが国では非常にめずらしい石仏です十輪院の石仏龕
間口2.68m 奥行2.45m 高さ2.42m 花崗岩製の厨子
龕(がん)とは仏像を納める厨子を意味します

すべて花崗岩の切石を用いて築造されています
龕中央に本尊地蔵菩薩、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています
そのほか、仁王、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔、あるいは観音、勢至菩薩の種子(しゅじ=シンボルとなる文字)などが地蔵菩薩の周りに巡らされ、極楽往生を願う地蔵世界を具現しています
龕前には死者の身骨や棺を安置するための引導石が置かれています
また龕の上部、左右には北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿の星座を梵字で陰刻し、天災消除、息災延命を願う現世利益の信仰も窺い知ることができます
引導石の左右には南都仏教に伝統的な「金光明最勝王経」「妙法連華経」の経幢が立てられています

この石仏龕は当時の南都仏教の教義を基盤に民間信仰の影響を受けて製作されたもので、めずらしい構成を示しています
大陸的な印象を受ける技法で彫刻されていることも注目されます
六道済度と極楽引導を期待する地蔵信仰を中核に、南都のさまざまな民間信仰を加味して作られたものです
制作は鎌倉時代のはじめ頃とみとめられるそうです

十輪院ホームページなにわ老人のブログページ
場所等はこちら  ならまち十輪院

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弘仁寺の明星菩薩像

弘仁寺明星菩薩
 明星菩薩立像は地蔵菩薩ともいわれていますが・・・

 重要文化財の指定を受けています
 平安時代初期の造像 
 像高131cm
 明星堂に安置されています

 一般には明星菩薩で知られています
 弘法大師空海が室戸岬の御厨人窟で明星の来影を感得して<求聞持の法>を成就したと伝えられ、明星信仰が始まったといわれています
 その仏像が明星菩薩とされています

 弘仁寺は嵯峨天皇の勅願により、弘法大師空海によって開創されたと伝わります
 本堂には重文の四天王立像(二体が平安時代作・二体が鎌倉時代作です)が安置されています

 弘仁寺のホームページ
 場所等はこちら  弘仁寺

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薬師寺八幡神社の神像

国宝に指定される三神像です

平安時代前期の寛平年間(889~898)の作とされます
木彫神像として最古の作例に属し、小像とは思えないほどの堂々とした姿です
三体それぞれが形・彫り・彩色の面で相互に変化と対照を考えた入念な表現が行なわれています

薬師寺仲津姫命 薬師寺八幡神 薬師寺神功皇后

僧形八幡神坐像  38.8cmの小像
一木彫の彩色像で後世の僧形八幡像のような仏教臭もなく、温かみの感じられる像です
髪を剃り、内衣・上衣・袈裟を着けて、地蔵菩薩や僧侶と同様の姿で表わされています
9世紀の仏像彫刻の表現に共通する作りです

神功皇后坐像  33.9cm
神像は社の奥深く安置されているため彩色が良く残されています
奈良時代以来、用いられた上流女子の服装で、表着・背子・裳を着けています

仲津姫命坐像  36.8cm
神功皇后は左膝を立て、仲津姫命は右膝を浮かせて坐します
両像とも頭上に髻を結い、豊かな髪を長く垂らしています
着衣の形式も共通です
身色は神功皇后が肉色であるのに対して仲津姫命は白色であり、衣の色彩も、内衣が橙色に対し朱色、背子の文様が菱形文に対し草花文、背子の紐が花入り菱形繋ぎ文に対し松葉文、裙が緑地の無文に対し白地に蔓草文というように、仲津姫命の方が神功皇后よりも華やかな表現になっています

薬師寺八幡宮は休丘八幡神社とも呼ばれます
宇佐八幡から東大寺(手向山神社「東大寺八幡宮」 )へ向かう途中にここで休まれたと伝わることから付いた社名です
寛平年間(889~898)に薬師寺別当栄紹によって勧請祭祀されました

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達磨寺の聖徳太子摂政坐像

達磨寺は太子が達磨大師と出会った地とされる場所に建てられたお寺さんです
本堂には千手観世音菩薩像を中心にして左側に聖徳太子摂政像、右側に達磨大師像が安置されています

達磨寺聖徳太子像

重文の聖徳太子摂政坐像は健治3年(1277)院恵・院道の作

檜材の寄木造り
肩や肘を左右に張った堂々たる体躯で、四角張った厳しい表情に院派の特徴がうかがえます

達磨大師坐像は、南都仏師椿井集慶の作
 足利時代の1430年、足利義教の命で造られたそうです

達磨大使坐像

 場所等はこちら  達磨寺

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橘寺の重文仏像

橘寺は聖徳太子誕生の地と伝わり、太子建立7寺のひとつです

「木造如意輪観音像」
橘寺如意輪観音
 かわいい顔をしていると言ったらしかられるでしょうか
 観音堂の本尊です
 像高:170cm 
 平安時代11世紀の作

 6本の腕を持ち、足の裏を合わせた通形の如意輪観音像です
 平安時代後期の繊細優美な定朝様式を示しています

「木造日羅立像」
橘寺日羅像
 本来は地蔵菩薩とされ、9世紀にさかのぼる古い遺例です
 像高:145cm 
 平安時代9世紀の作
 聖倉殿(宝物殿)に安置されています

 針葉樹の堅木一材から彫りだされていますが、両手先は後捕で、当初の印相は不明 
 江戸時代には、伝日羅像とされています

 日羅は百済王から二位達率と極めて高い官位を与えられた倭系百済官僚です
 583年、敏達天皇の要請により百済から帰国し、政治顧問につきましたが後に暗殺されました
 聖徳太子の仏教の師でもあったと伝わります

「木造聖徳太子坐像」(太子35歳の像)
橘寺聖徳太子坐像
 顔がふっくらして、堂々たる体格の小像です
 室町時代の永正12年(1515)で、椿井舜慶の作
 像高:55cm
 本堂に安置されています

 太子35歳時の像は勝鬘経御講讃像とも呼ばれます

 太子が35歳の時、叔母の推古天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を3日間講ぜると、大きな蓮の花びらが庭に1mも降り積もり、南の山に千仏頭が光を放ちながら現れ、さらに太子の冠から日月星の光が輝いたと言う伝説があります 

「木造地蔵菩薩立像」 
橘寺地蔵菩薩立像
 平安時代中期の作 
 像高:152.4cm
 聖倉殿(宝物殿)に安置されています

 首の短いやさしい少年の顔をしたお地蔵様です
 右手の肩から手首に架けての衣に刻まれた衣文線に特徴があります

  場所等はこちら  橘寺 

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海龍王寺の重文仏像

精巧入念な作です
海龍王寺十一面観音 海龍王寺文殊菩薩

海龍王寺の本尊:木造十一面観音立像
像高さ93cm・鎌倉時代13世紀の作

衣には彩色と戴金で華麗な装飾が施され、金銅の透かし彫りやガラス玉の細工は技術の高さを示しています
光明皇后が自ら刻まれた十一面観音像をもとに、鎌倉時代に慶派の仏師により造立されました

木造文殊菩薩像
像高さ117cm・鎌倉時代13世紀の作
 
文殊菩薩と称されますが、衣の下に鎧を着て居ることから帝釈天とも言われます
均整の取れた体は鎌倉時代の特徴を表します
真言律宗の特徴である「文殊信仰」の流れの中で造立されたそうです
小ぶりな頭部に合わせるように目鼻口も小さく作られており、おだやかな起伏をもつ姿が自然なプロポーションで表現されます

場所等はこちら  海龍王寺
 海龍王寺のホームページ

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長岳寺の重文仏像

本尊の阿弥陀三尊は日本で最初に玉眼が採用された像です

長岳寺本尊

藤原時代の仁平元年(1151)の作
仏像彫刻の頂点と言える鎌倉時代の先駆的な像として注目されます
運慶・快慶などの慶派に大きな影響を与えました
玉眼を用いた仏像としては日本最古のものです

この三尊は創建当初の東大寺の大仏(東大寺創建当時は三尊形式)をモデルにして造像されたとの説があり
脇侍の半跏像などは東大寺と同型とされ注目されます
 
中尊の阿弥陀如来及び両脇侍の観世音菩薩、勢至菩薩の三尊が本尊です
阿弥陀如来は上品上生の定印を結んでいます
体内に仁平元年作の墨書銘があり、藤原時代から鎌倉時代に移る仏像史の重要な物差しの目盛りとなる仏像です

右側の観音菩薩はきりっとしたつり上がり気味の目をした理知的な顔をします
阿弥陀如来の慈悲の分身です

左側の勢至菩薩はより穏やかでやさしげなお顔をしています
勢至菩薩は知恵の分身です

脇侍のそれぞれが半伽椅座像です

長岳寺勢至菩薩 長岳寺阿弥陀如来 長岳寺観世音菩薩

多聞天(毘沙門天)と増長天(四天王)の二尊は廃仏毀釈の折に大神神社の神宮寺である「大御輪寺」から移された尊像です

増長天立像は木造彩色玉眼入りで像高185cm 
多門天立像は木造彩色玉眼入りで像高187cm 

いずれも邪鬼をしっかりと踏みつけ、800年を経た現在も色彩が良く残っています
ともに藤原時代の作で重要文化財です

長岳寺増長天 長岳寺多門天

 場所等はこちら  長岳寺

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東大寺弥勒仏坐像

大きな顔が、なんともユニーク

東大寺弥勒仏坐像

元は、東大寺法華堂に所蔵されていました
現在は、奈良国立博物館に寄託されています

像高39cmの小さな木造ですが
個性的で圧倒的な存在感をかもしだしています

試みの大仏と俗称されますが・・・平安時代8~9世紀の作
重要文化財です

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

金剛山寺(矢田寺)の重文仏像

木造地蔵菩薩立像(矢田寺本尊)
金剛山寺 木造地蔵菩薩立像
 矢田型地蔵とよばれる独特のスタイルの地蔵像です
 錫杖を持たず、左手には宝珠をのせ
 右手は胸の前で親指と人差し指とを丸め合わせています

 像高163cm
 平安時代9世紀の作(貞観時代の作) 
 延命地蔵菩薩といわれます

 「矢田地蔵縁起」によると、むかし満慶上人が小野篁とともに閻魔庁に行き、閻魔王に地獄を見てみたいと申し入れます
 そこで阿鼻地獄で必死に衆生を救う地蔵菩薩に出会い、「わたしと縁を結ぶように、衆生に勧めなさい」と言われます
 満慶上人はさっそく地蔵菩薩を彫り始めますが、そこへ翁に姿を変えた春日明神が現れ、三日三晩のうちにそっくりのお姿を彫り上げました
 これが本尊の地蔵菩薩立像です
 満慶上人が彫ったものは「こころみの地蔵菩薩立像」(重文)として、裏堂にまつられています

木造阿弥陀如来坐像 
 現在は本堂の裏堂に安置されていますが、もとは上念仏堂に伝来したもの

 像高137cm
 藤原時代の作
 光背を失っていますが、台座の大半は当初のもの
 寄木造ですが、頭、体の幹部は十材、両足部は四材を矧ぎ寄せて作っています

木造地蔵菩薩立像 
 本尊の地蔵菩薩立像の前立像としてまつられています

 像高164cm
 藤原時代の作
 容貌や薄い体型は平安前期の作風を示していますが、やや明快さを増した目鼻立ちから、実際の製作時期は鎌倉時代に近い時期と考えられています

 檜材の一木造りで、両頬や胸、腹の肉身部には自然な抑揚があり、表情も引き締まっています
 本尊とは着衣に刻まれた衣文の形式が異なります

木造十一面観音立像  
金剛山寺 木造十一面観音立像
 当初は本像が本尊であった可能性が高いとされています

 像高217センチ
 8世紀後半・藤原時代の作

 桐材の一木造りで、両肩から先は別材を接いでいます
 下半身には天然のウロ(空洞)があります

 左肩からたすき掛けにする条帛を乾湿の盛り上げで作ります
 脚部の衣文は平安前期の一木彫像に多い翻波式に刻まれます
 天衣の腕から下に垂れる部分、頭上面の大部分は後補
 やや中性的で可憐な容貌をもち、柳腰で下半身のよく伸びたしなやかな身のこなしが美しい像です

木造閻魔王倚像(奈良国立博物館寄託)
金剛山寺 木造閻魔王倚像
 怒った表情をしていないことから、地獄の判官として人の生死をつかさどる泰山府君の可能性もあります

 像高54cmの小像 
 鎌倉時代の天正19年(1591)の作

 中国風の道服を着て、両足を下ろし椅子にすわる姿
 胸の前で笏を持ちますが、手首と持ち物は後補です
 通常は非公開となっています

木造司録坐像(奈良国立博物館寄託)  
金剛山寺 木造司録坐像
 司録は地獄の冥官で、司命と一対で閻魔王に随侍します

 像高142cm
 鎌倉時代末期14世紀の作と考えられています

 中国式の官人の服装で、獣皮をかけた床几に右足を踏み下げて坐し、左手に木札、右手には筆をとります
 司録とされていますが司命とするのが正しいとされています
 像内の墨書銘から天正10年(1582)に宿院仏師によって修理されています
 通常は非公開となっています

木造虚空蔵菩薩坐像(矢田寺北僧坊所蔵、奈良国立博物館寄託)  
金剛山寺 木造虚空蔵菩薩坐像
 堅太りの体格で、華やかな宝髻を結い、強い表情をあらわしています
 
 像高86cmの木造彩色像
 平安時代の作
 桐材の一木造り

 蓮華座に左足を踏み下げて坐し、左手で宝珠をとり、右手に剣を握ります
 左足のすねにはリズミカルな翻波式の衣文を刻みます
 通常は非公開となっています

木造毘沙門天立像(矢田寺南僧坊所蔵)  
 藤原時代の作

場所等はこちら  矢田寺 「金剛山寺」

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興福院の重文仏像

体躯の豊かな仏様たちです

興福院左脇侍 興福院中尊 興福院右脇侍

阿弥陀三尊「中尊像」
像高89cmの木心乾漆造(奈良時代8世紀の作 重要文化財指定)
説法印の阿弥陀如来で、木彫の表面に木屑漆を塗って細部を塑形整形する手法
奈良の仏像らしく豊かな肉付きで柔らかな仕上がりです
表面の漆箔は江戸期の補修

近世の復興時に本尊として迎えられたと推定されています
当初どこの寺院にあったかは不明です

釈迦三尊「右脇侍像」
像高76cmの木心乾漆造(奈良時代8世紀の作品 重要文化財)
表面の金泥塗りは江戸時代の補修
菩薩半跏像で豊かな肉体です

釈迦三尊「左脇侍像」
像高75cmの木心乾漆造(奈良時代8世紀の作品 重要文化財)
この厚い肉体に圧倒されます

場所等はこちら  興福院

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松尾寺の大黒様

実にりりしい顔の大黒様です
松尾寺大黒天立像

『木造大黒天立像』は七福神堂に安置されています(国重要文化財)

日本でももっとも古い様相をもった大黒天像です
日本三大黒の一つとして知られています

像高約82cmで、全体に黒味をおび、烏帽子をかぶった狩衣姿です
右手はしぼって腰にあて、左手は肩から背にかけた大きい袋の端をささえています

一般に知られている「大黒さま」とは異なった姿をしています

古い時期の作例はこのような特異な姿をしています
県内では、興福寺・東大寺・法華寺などにもこのような古い像が伝えられています

他に国重文の「木造十一面観音立像」(平安時代の作)は奈良国立博物館に預託されています

場所等はこちら  松尾寺

テーマ:奈良 - ジャンル:地域情報

霊山寺の重文仏像

本尊薬師三尊像

本尊の薬師如来坐像
春日形厨子内に安置され、明治時代までは20年に一度だけしか開扉されない秘仏でした
その為、他に類例の少ない原初からの光背や台座までも元のままに伝えられています
彫りの浅い目鼻立ち、三日月状をした眼瞼が切れ上がり、口元の引き締まった強い表情、簡素な衣褶表現などに古風な奈良仏師の作風が見られます
像内納入の紙片の墨書から治暦2年(1066)の造立であることが知られます

脇侍の日光・月光菩薩立像
互いに対照的な形姿をとります
ともに一木割り矧ぎの構造で像高87cm
本尊薬師如来とともに厨子に安置され秘仏です

三尊とも桧材の大ぶりの板光背を負っています
脇侍光背の左右下端に各3体ずつ配した十二神将が描いてあり、十二神将の絵画作例として最も古例に属するものです

☆毎年1月1日~1月3日と10月23日~11月第二日曜日に開扉・公開されています

十二神将立像
像高76cmの木造彩色群像です
薬師如来の護法神として安置され、軽捷で躍動的な姿態がたくみに表現されています
焔髪の中に十二支獣の頭部が置かれています
各像とも桧材の寄木造で、弘安年間(1278~88)の制作とされます

阿弥陀如来坐像
像高83cmの桂材割り矧ぎ構造で、もとは阿弥陀堂の本尊でした
丸味のあるやさしげな面相、こまめに重ねられた衣褶の曲線、漆張りの大きな安定した形姿などに、12世紀彫像の特徴がよくあらわれています

大日如来坐像
像高112cmの木造漆箔の桂材割り矧ぎ構造で、もとは大日堂の本尊だったそうです
像容から、平安時代後期の温雅な造型感覚がうかがわれます
唐草文を意匠化した銅製胸飾りが付けられ緑色のガラス玉が据えられていて、ガラス遺品としては極めて珍しいものです

十一面観音立像
像高82cmの榧材の一木彫成像です
口唇に朱をさし、眼や髭などを墨書きするほかは無彩色の素地仕上げの手法は、壇像と呼ばれるもので、本来は白檀系の渡来の名木を用いて制作されます
大きな頭部と圧縮された胴の比、不釣合いな細かい両腕などアンバランスな体型が特色です
平安初期の制作で異色の観音古像です

毘沙門天立像
像高68cmで桐材一木構造、邪鬼の桐一材から全体を彫成しています
朱・緑青で彩色した像ですが、煤けて黒ずんでいます
右手に戟を突き、左手で宝塔を捧げゆるく腰をひねった武将の立姿です
藤原美術の優雅な天武形は奈良では少なく、12世紀頃の制作とされます

持国天・多聞天立像
四天王のうちの二天王で、桧材寄木造り玉眼を嵌入する像
充実した肉体を装甲で引き締め、精悍そうな身のこなしをした武将像で、生彩のある表情、躍動感あふれる表現は、鎌倉後期の特色をよくあらわしています
弘安年間(1280頃)の制作とされます

地蔵菩薩立像
像高80cm、桧材寄木造りの立像
整った像容と彩色に技巧をこらした像で、光背・台座・錫杖も当初のものを伝えています
袈裟は、条の部分が截金による卍字つなぎ文、また折れ返って袈裟裏のみえるところは、緑青地に截金の笹蔓文となっています
快慶の作風に習った鎌倉中期・康元元年(1256)の像立です

薬師三尊懸仏
本尊外陣に奉懸される大ぶりの懸仏です
本尊が秘仏の為、平素拝むことが出来なかったので、前立仏として懸仏が造られたようです
盤経98cm、中尊像高42cm、脇侍像高24cm
貞冶五年(1366)の作成です
三尊とも極めてうす手に造られ、背面の一部を欠いているのみでほぼ完全に近い立体像で現存します

宝物・仏像の画像は霊山寺のホームページで紹介されています
場所等はこちら  霊山寺

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